やっぱり許せないよ、今は優しいからって過去にあれだけ自分を苦しめた相手を簡単には許せないよ。一生許したくないよ。

でも、許さなかったら自分のためにならないのかな。許すことで見えてくるものもあるんじゃないのかな。

そんな葛藤。

中学生の頃に戻れたら母親に聞きたい。

「ありのままの私じゃ駄目なの?」と。「私のこと理解しようとしてる?」と。

ダメって言うんだろうな。変われ、とでも言うんだろうな。

あの頃の私は母親に認められることを諦めた。こいつと話しても無駄だと。口を開けば喧嘩、喧嘩。

 

私も意地っ張りだな。

過去のことをいつまでも。今が苦しいのを母親のせいにしてるだけだ、とも思う。

日常の様々な場面で生きづらさを感じる。それが、日に日に強くなっている。

調べてみたら私はアダルトチルドレンというものに当てはまるらしい。幼い頃に両親から十分な愛情を受けることができなかった人が日常生活で様々な問題を抱えるというもの。

 

小学生の時はクラストップくらいの成績をキープしていたが、中学に入ってから良い点数が取れなくなった。そこから、母親の態度が急変していった。成績表を見せると、3時間くらいぶっ続けで説教される。怒鳴り散らされる。次の日になっても機嫌が悪い。その次の日も、次の日も。朝も喧嘩する。泣きはらした目で登校することも結構あったと思う。

詳しいことは思い出せないけれど、中学生の頃の私はとにかく家に帰りたくなかった。母親が怖かった。家の中では常にびくびくしていた。そんな記憶しかない。

母親は正論しか言ってこない。言い返しても、必ず論破される。だから、言い返すのをあきらめて説教が終わるまでただただ黙っているしかなかった。悲しい気持ちを抑圧するのに必死だった。

「あなたはこういうところがダメなのよ」というのをひたすら言われる。心が滅多刺しにされる。私って駄目なやつなんだ、と思う。

中学生の頃がピークで、まぁ、高校時代もそういう喧嘩はあったけど中学時代ほどではなかった。大学に入ってからは私もそれなりに言い返せるようになったので、母親も昔のように怒鳴ることはなくなった(皆無ではないが)。

 

中学生の時は自分が悪いのだと思っていた。でも、大人になった今過去を振り返ってみて、あれが異常であったことに気付いた。中学校の頃の自分は…なんというか本当に哀れだったと思うし、タイムリープできるなら慰めに行きたい。

母親に認められたかった。「そのままのあなたでいいのよ」っていう心で接してほしかった。

 

次回、私の現状について。母の話とリンクさせながら書きます。

 

3人

私の今までの人生と、家族について。

記憶を辿れる範囲で、書く。

3歳の時に父が病気で他界した。だから私には父親に関する記憶が全くと言っていいほどない。父親がいないことが当たり前だったので、その点については寂しいとは思わない。

そこから、母と祖母(父方の母)と私の3人での生活が始まった。2人は、仲が悪い。私が小学生のころまでは普通に会話してたけど、今思えば表面上で仲良くしていただけなんだろう。今ではほとんど話さない。話しているところを見ると珍しいと感じるほどに。私自身も母親と祖母と自分から会話を投げかけることはない。2人のことが嫌いだから。

母親からよく祖母の愚痴を聞かされていた。どれくらいの頻度だったかわからないけど。幼い頃の私はそれを聞かされてもどうしたらいいのかが分からなくて、ただ、おばあちゃんってそんな人なんだなぁという悪いイメージが増大していって、中学生のころには祖母に八つ当たりするようになってしまった。小さい頃はおばあちゃん大好きだったはずなのに。一緒に寝たり、逆上がりの練習したりしていたのに。今でも、私は祖母と正面から向き合えない。避けている。

食事も、昔は3人で食べていたけど今はバラバラだ。物心ついたころから。

最近になって家庭の異常さに気付いた。どうしてこうなってしまったのか。3人仲良くできなかったのか。

 

次回、母親についての記事を書きます。

 

はきだめ

日ごろから、生きづらさを感じることが多く、自分の堅苦しい脳内について書き留めておける場所が欲しくてブログを始めることにしました。

日記帳ではなくどうしてブログにする必要があるのかと言ったら、やはり誰かに見てほしい気持ちがあるからだと思います。

ここでは自分の気持ちに素直でありたい。